スマートフォンによって、手のひらにPCとインターネットとカメラを入れられるようになった。
我々の生活を一変させ、効率的に情報を収集でき、効率的に情報を取捨選択でき、効率的に情報を発信できるようになった。
いつでもどこでも仕事できるし、いつでもどこでもゲームできる、いつでもどこでも音楽が聞けるし、いつでもどこでも本が読める。
多くの人は、効率的にSNSでコミュニケーションし、「いいね」の快感は最大化されることになった。
でも、それらは僕らを幸せにしたんだろうか。
それらは僕らを効率的に幸せ獲得させてくれるようになってるんだろうか。
効率的に時間を潰して何も残らない道具にもなり、効率的に無為な時間を過ごすようにしてしまわないだろうか。

PEN-F + OM 75-300mm F4.8-6.7 II
270.0mm ISO1600 f/6.7 1/200s
無為な時間を過ごすだけならまだいい。
コミュニケーションの効率化と加速化は、人を傷つける効率化と加速化と表裏一体だ。一側面では効率的に人を傷つける道具になってしまう。
そこには「リテラシー」という名の「うまくやる技術」が必要になる。オフラインでの人間関係と同じではあるが、オフラインでの人間関係とは速度と密度と距離感が異なり、表情が見えないから真意が見え辛く、受け手の強さに頼ることになる。人を傷つけても、死を選択させても、その痛みを想像できる発信者の想像力に頼ることになる。…まぁ、それもある意味オフラインでの人間関係と同じか。

PENTAX K-3 Mark III + HD PENTAX-DA 20-40mmF2.8-4ED Limited DC WR
27.0mm ISO100 f/3.5 1/6s
スマホは、カメラがついているが、カメラはスマホじゃない。
Instagramにアップロードして、「いいね」をもらうために写真を撮影していたとしても、カメラで写真の説明やタグ入力したりは、通常しない、できない。そういう意味で、カメラはSNSとは一線をおいて離れている。
すでにスマホは、これまでのどのデバイスよりも個人の生活に深く入り込む時代になっている。その時代からすれば、スマホと一線を画してスマホと違うという点が、カメラの最もカメラたる意義なのかもしれない。
